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”考えてました”は理由にならない

よく使われる言い訳、”考えてました”。
あの件はどうなったかな?とかその後どう考えたかな?と聞いた時に使われる言葉です。
苦し紛れによく使います。
実際に考えていなかったわけではない、
それも、昼も夜も頭から離れず、
文字通り考えていたかのように感じることは良くあることです。

あるアイデアを考えていた友人に助言しました。
その結果、詳細は省きますが、
「ここのパートには3人充てるのがいい」、という提案に対して、
「結構重要な事なので、本当に3人でいいのかどうか考えよう」、ということになったのです。

後日、彼に聞きました、「考えましたか?」と。
「はい、考えた結果、提案通り3人でやることにしました」との返答。
「2人にする方法もあるし、4人充てるのもあるんじゃない?それは比較したの?」
「しました。2人だと少ない気がするし、4人だと多いんじゃないか、というふうに思いました。」
「こういう事態に備えられないから4人にしよう、とか、その事態に備えるために一人追加するのはコストに合わない、とか具体的に考えてないの?」
「あー、考えてませんでした。」

難しい言葉で言えばMECEだったりするのかもしれないけど、
何かを比較するときに、合理的に定量化して比較しなければ、
結果的に「単なる気分で選択したんだね」、と言われかねない事態が発生するということなんです。
2人の場合、3人の場合、4人の場合を想定し、
考えられる事態列挙したマトリックスに、
それぞれ、○×△をつけるだけでも違う結果が出るはずなんです。

もちろん、その選択・決断をしなければならないほど、重要度が高いことも必要ですが。
「気分で決めました。」「なんとなく仮置きしました。」で済むこともたくさんありますから。

そしてその結果を残しておくこと。
考える過程を頭のなかから、外に書き出してみること。
それが、「考える」ということなんだと思います。

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