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就職は現代の赤紙だ

この春、若い知人が就職した。

彼の父とは古い友人で、一時期はかなり濃密に家族ぐるみで交友していた。
そんな理由から、若い知人のことは生まれたときからよく知っている。
2歳前にはおむつが取れ、
3歳前には自転車の補助輪が取れた。
そんなことに、一緒に一喜一憂した。

頭が良くて、運動神経も抜群で、とても将来が有望な子供だった。
スポーツ選手になるのかな、昔風に言うと、末は博士か大臣か、と本気で信じた。

その後、自分が北海道を離れることになり、しばらく疎遠になっていた。
地元の小中学校を卒業し、
同じく地元の普通の公立高校に行き、
自宅から通える地元ではまあまあの私立大学に行ったことは、
彼の父から便りで聞いていた。

そしてこの春、本人から「就職が決まったよ」と連絡をもらった。

自分は「おめでとう」と言いながら、心の中ではなんか複雑な気分だった。

彼には、もっともっと無限の可能性があったんじゃないかと思うのだけれど、
普通すぎる結末に言葉もない。

採用という「赤紙」をもらった家庭では、
「おめでとう」と言いながら、君のお父さんも誇らしい働きをしたんだぞ、
さあ、あとを追って行ってこい、
「会社のために命を捧げてこい」と子供を送り出す。

単なる一兵卒でしかなく、
もしかしたら使い捨てにされるかもしれない、
同期という仲間との戦いも制していかなければならないのです。

見たことありませんか?
判で押したかのような入社式の写真。
個人の区別がつかないほど似た者が並ぶ入社式。
なんか、がっかりしたのは、個性・才能溢れる若者になったであろう、
と思っていたいのに、完全に集団に埋没してしまった彼の姿なんです。

きっと、「赤紙」をもらえなかった家庭では、
まるで我が子に欠陥でもあるかのように受け取り、
世間様に顔向けができないと、卑屈になり、
表に出ることがタブーであるかのように本人は引きこもる。
こんなこと、ありそうじゃないですか?

なんかこれって、規格品の製造工場のようだな、と思った。
途中ではふるいにかけられながら、
小中高・大学と、ベルトコンベアのように進み、出荷された。
まさに国を挙げての会社員という兵隊を製造する工場は完璧にうまく機能していますよね。

これは、日本の教育システム・就職採用システムに乗っていることが原因です。

どんなにお金を使ってお受験しようが、
良い塾・予備校へ行こうが、変わらない。
日本の教育システムに乗っかっている以上、
せいぜい途中でのふるいに落ちない大粒になれるくらいのもので、
ベルトコンベアの行きつくところは赤紙招集。
日本の会社に入社する以上、出口は一緒なのです。

親の経済力によって大学に行けないことが不利だとか、
貧困は連鎖するとかいうけれど、
日本の教育システムのベルトコンベアに乗っている限り、
最後まで乗っかっても、結局一緒だということに気づかなくちゃならない。
お金があれば、製造工程のラインから抜け出すことができるわけではないです。

では、情報があれば、製造工程のラインを抜け出すことはできるのか?

そういう意味では、最近はフリースクールや自宅学習を選ぶ子供も増えています。
不登校が12万人いるうち、3万人はフリースクールを選んでいる、という説もあります。

不登校は、「学校になじめないから」というようなマイナス視点からではなく、
「日本の学校が信じられないから」と積極的な自宅学習やフリースクールを選択するのだそう。
カドカワが作ったN高やホリエモンが作ったゼロ高もその一つです。
これらのスクールでは、基本的には自分がやりたいことを突き詰めるのが単位になります。

親自身がベルトコンベアで製造された会社員であれば、
そのメリットや、それを選択した後の将来について想像すらつかない、
というのが本当かもしれません。
ただ、大切な自分の子供をベルトコンベアに乗せて、
赤紙招集されることの悲惨さを知っている賢い親は、
「子供を学校には任せておけない」と、もう始めています。
少なくとも、子供にこういう選択肢を提示してあげられることが親としての役割なんじゃないでしょうか。

全ての子供たちが無限の可能性を秘めて生まれてきたし、そう信じて育てられてきたはず。
一兵卒として消耗される運命に喜んで差し出したい親はいないと思うのです。

そうだとするならば、まずは、いかにベルトコンベアから外れるか、と考えることから始めませんか?

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