多数決の前に、人の「意見」はどこから生まれるのか

多数決は正しい答えを決める仕組みではない。気になっていたのはその前、人の「意見」がどうやって作られたのかだった。Persona Monitorを作っていて、社会モデルには情報環境というレイヤーが必要だと気づいた話。

最近、人間の態度や行動をシミュレーションする「Persona Monitor」というモデルを作っている。

その中で、

「人は質問されたからといって、必ずしも答えを持っているわけではない」

という問題にぶつかった。

質問がその人に適用されないこともある。

経験がないこともある。

判断材料を持っていないこともある。

それでも人間は、質問されると何か答えることがある。

この問題を考えていたら、以前から民主主義や多数決について感じていた、ある違和感につながった。

多数決は「正しい答え」を決める仕組みではない

そもそも、社会の多くの問題には唯一の正解がない。

会社経営でもそうだ。

「年間○円の利益を出す」という目的には合意できても、そのためにどの戦略を取るべきかには無数の選択肢がある。

価格を上げる。

新商品を作る。

海外へ進出する。

コストを下げる。

どれが正しいかは、置かれている状況や将来についての仮定によって変わる。

政策も同じだろう。

同じ社会を良くしたいと思っていても、どの方法を選ぶかは人によって違う。

そこには知識だけでなく、価値観や信念も入ってくる。

だから意見が分かれること自体は、おかしなことではない。

むしろ当然だと思う。

私が気になっていたのは、その前だった。

その「意見」は、どうやって作られたのだろう。

人は完全な情報を持って投票しているわけではない

例えば、ある制度について社会で議論が起きたとする。

その制度に直接関係する経験を持つ人がいる。

仕事上の問題として経験した人もいる。

家族の問題として経験した人もいる。

専門家として制度を詳しく知っている人もいる。

一方で、ほとんど知らない人もいる。

ニュースで一度見ただけの人もいる。

SNSで誰かの意見を読んだ人もいる。

家族や友人から話を聞いた人もいる。

そして、まったく関心がない人もいる。

それでも社会全体として賛否を聞けば、それぞれが何らかの態度を示す。

つまり現実の民主主義は、

十分な情報を持った人々が、それぞれ熟考して判断した結果だけを集計しているわけではない。

不完全な情報から作られた態度も含めて集計している。

直接の経験がある人からまったく関心がない人まで、知っている度合いが違う人たちの態度が一つの賛否に集計されることを示す図

これは民主主義への批判という意味ではない。

それが現実の人間社会なのだと思う。

「正しい情報を与えたらどう答えるか」だけでは足りない

Persona Monitorを作り始めたころ、私は無意識に、

「その人に十分な情報があれば、どう判断するか」

を再現しようとしていた部分があった。

しかし、今は少し違うと思っている。

社会をシミュレーションするなら、

不完全な情報しか持っていない人間が、実際にどう態度を形成するのか

をモデル化しなければならない。

例えば、ある政策についてほとんど知らない人がいる。

最初は態度を持っていない。

そこへテレビのニュースが入る。

少し印象ができる。

SNSで反対意見を見る。

友人から賛成側の経験談を聞く。

専門家の解説を読む。

すると態度が少しずつ動く。

重要なのは、同じ情報を与えても全員が同じように動かないことである。

人によって、

新しい考えを受け入れやすいか。

現状維持を好むか。

他人の意見をどの程度参考にするか。

誰を信頼するか。

もともとどちらに近い態度を持っていたか。

が違う。

だから同じニュースを見ても、反応が違う。

最初は態度を持っていない人が、テレビのニュース、SNSの反対意見、友人の経験談、専門家の解説を受けて、態度が少しずつ動いていく流れ

社会モデルには「情報環境」が必要だった

ここでPersona Monitorに、もう一つ大きなレイヤーが必要だと気づいた。

情報環境である。

これまでは、

人口構成。

職業や所得。

価値観。

物事への態度。

行動。

そうしたものを重ねて人間をモデル化しようとしていた。

しかし人間は、外から情報を受け取る。

テレビを見る。

新聞を読む。

SNSを見る。

専門家の話を聞く。

家族と話す。

職場で話す。

そして、その情報によって人間自身が変化する。

つまり、

人間 × 現在の態度 × 接触した情報 × 情報源への信頼 × フレーミング

によって、次の態度が作られる。

Persona Monitorで社会を作るなら、ここまで必要なのだと思う。

人間、現在の態度、接触した情報、情報源への信頼、フレーミングの掛け合わせによって次の態度が作られることを示す式

フレーミングは避けられない

情報には必ずフレームがある。

同じ事実でも、どこを切り取るかによって見え方は変わる。

質問も同じだ。

どの言葉を使うか。

どの情報を先に示すか。

何と比較するか。

どの選択肢を用意するか。

完全に中立な情報提示を作ることは、思っている以上に難しい。

だから、フレーミングそのものを悪いものだとは思わない。

広告にもフレームがある。

政治家の演説にもある。

企業のプレゼンテーションにもある。

問題は、そのフレームによって人々の態度がどの程度動くのかである。

例えば、同じ制度について、

Aという説明を見せる。

Bという説明を見せる。

専門家の解説を追加する。

当事者の経験談を追加する。

反対意見を繰り返し見せる。

それぞれで社会全体の態度はどう変わるのか。

さらにPersona Monitorなら、

誰が動いたのか

まで降りて見られるかもしれない。

もともと態度を持っていなかった人が動いたのか。

弱い賛成だった人が強い賛成になったのか。

強い反対だった人は動かなかったのか。

特定の情報源を信頼する人だけが動いたのか。

単なる「賛成60%、反対40%」より、こちらの方がずっと社会について多くのことを教えてくれる。

賛成60%・反対40%という集計の先に、誰が動いたのかという四つの問いがあることを示す図

多数派であること自体が、新しい情報になる

さらに考えると、社会は一回の情報入力で終わらない。

誰かが情報を受け取る。

態度が変わる。

その人が発言する。

その発言を別の人が見る。

その人の態度が変わる。

やがて多数派が形成される。

すると今度は、

「多くの人がそう考えている」

こと自体が、新しい情報になる。

それを見て、さらに態度を変える人が出てくる。

情報が人を変え、

変わった人が新しい情報を生み、

その情報がまた人を変える。

ここまで来て、ようやく「社会をシミュレーションする」という意味が少しわかってきた。

100万人の人間を作っただけでは、社会ではない

以前、Persona Monitorについて考えながら、

「架空の人間を100万人作っても、それだけでは社会にはならない」

と書いた。

そのときは、人口構成や価値観の分布を現実に近づける必要がある、という意味で考えていた。

しかし、それだけでも足りなかった。

100万人の人間を正しい比率で配置しても、その人たちが互いに何の影響も与えなければ、それはまだ100万人のデータでしかない。

人と人の間に情報が流れる。

その情報をそれぞれ違う受け止め方で解釈する。

態度が変わる。

行動が変わる。

その行動が、また別の人の環境を変える。

社会は、人間の集合ではなく、人間の間で起きていることまで含めて社会なのだ。

互いに影響を与えない点の並びとしての人間の集合と、情報が流れ態度が変わる網としての人間の間の対比

Persona Monitorを作っていて、そんな当たり前のことに改めて気づいた。

だから、私が作りたいのは、

「十分な情報を与えられた合理的な100万人がどう判断するか」

を計算する装置ではない。

不完全な情報しか持っていない人間が、

身近な経験から考え、

ニュースを見て、

誰かの話を聞き、

ときにはよく知らないまま答え、

周囲の人から影響を受け、

また誰かに影響を与える。

そんな現実の人間が作る社会が、ある出来事によってどう動くのか。

それを小さなモデルの中で観察してみたい。

どうやらPersona Monitorは、人間を作るところから始まって、少しずつ「人間の間」を作るところへ進んでいるらしい。

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