· 技術革新とデジタルトレンド · シリーズ: テクノロジーの現在地 · 読了目安 7 分
なぜ「なぜ〇〇は△△なのか」というタイトルは読者を強く引きつけるのか

「なぜ、仕事のできる人ほど返信が遅いのか」
「なぜ、売れる商品ほど説明しすぎないのか」
「なぜ、AIは『資格』という一言に釣られたのか」
こういうタイトルを見ると、少し先を読みたくなる。
別に、自分にとって重要な問題とは限らない。
答えを知らなくても困らない。
それなのに、なんとなく続きを見てしまう。
よく考えると、不思議なタイトルである。
「なぜ〇〇は△△なのか」というタイトルは、秘密を隠しているわけではない。
〇〇も書いてある。
△△も書いてある。
隠されているのは、その二つを結ぶものだけだ。

答えをすぐに書いてみる
試しに、こんなタイトルの記事があったとする。
なぜ、会議では最初に結論を言わない方がいいことがあるのか
そして本文を開く。
それは、最初に結論を示すと、参加者がその結論を前提として情報を評価してしまうからです。
なるほど。
分かりやすい。
たぶん正しい。
そして、もうかなり満足してしまった。
続きを読む理由が少し減っている。
では、こう始めたらどうだろう。
ある会社で、新しい事業を始めるかどうかを決める会議があった。
企画担当者はA案、B案、C案の三つを用意した。
担当者自身はB案がいいと思っている。
そこで資料の最初に大きく、
「推奨案:B案」
と書いた。
その後に、市場環境、顧客の反応、コスト、実現可能性を順番に説明していく。
きれいな資料である。
結論も明確だ。
でも、ここで少し変なことが起きる。
参加者は、市場環境を「B案を選ぶための情報」として読む。
顧客の反応も「B案を選ぶための情報」として読む。
コストの話も「B案を選ぶための情報」として読む。
本来はA、B、Cを比較するために存在していた情報が、いつの間にかB案を説明する材料になっていく。

だからといって、結論を最後まで隠せばいいわけでもない。
何を決める会議なのか分からなければ、今度は参加者が迷子になる。
では、何を最初に伝え、何をまだ伝えない方がいいのだろう。
ここに、最近私が考えている「意味」の面白い性質がある。
情報を隠しているのではない
先ほどの、
なぜ〇〇は△△なのか
に戻ってみる。
このタイトルを読んだ時点で、読者にはかなりの情報が渡されている。
何について考えるのかも分かっている。
問題も提示されている。
しかし、
「〇〇と△△は、こういう意味でつながっています」
という部分だけが、まだ渡されていない。
私はこれを、単に「答えを隠す」というより、
意味の確定を保留する
と考えると面白いのではないかと思っている。
タイトルによって問いは開かれている。
でも、書き手はまだ答えにコミットしていない。
その間に読者は、いくつかの事実やエピソードを見る。
「こういうことかな」
「いや、こっちかもしれない」
と、自分でも点と点を結び始める。
そして、あるところで書き手が意味を確定する。
ここで起きていたのは、〇〇だったのではないか。
その瞬間、それまで読んできたエピソードの見え方が変わる。
同じエピソードなのに役割が変わる
これが特に面白い。
意味が確定する前のエピソードは、読者にとって観察対象である。
「これは何なんだろう」
と考えながら読む。
ところが意味が確定した後では、同じエピソードが、その意味を理解するためのEvidenceになる。
つまり、
問いを開く
→ 意味を保留する
→ エピソードを見せる
→ 読者自身も解釈する
→ 意味を確定する
→ その意味を広げる
という流れができる。
最後には、メリットや応用方法、別の場面への展開まで話せる。
そして最初に開いた問いを回収する。
文章の中で、意味をいつ確定するのか。
それだけで、読者の体験はかなり変わる。

だから「結論は最後に書け」ではない
ここを間違えると、昔ながらの文章術に戻ってしまう。
「読者を引きつけるには、答えを焦らしましょう」
という話ではない。
結論を最後に置けばいいわけでもない。
例えばプレスリリースで、
私たちの挑戦は、3年前のある日の小さな出来事から始まりました。
と延々と読まされたら、
「それで、何を発表したの?」
となる。
プレスリリースでは、むしろ最初に意味を圧縮した方がいい。
何を発表したのか。
何が新しいのか。
誰にどんな価値があるのか。
そこを早く渡して、その後に開発の背景やエピソードを置く方が自然だ。
意思決定のための提案書なら、また違う。
何を決めるのかは最初に知らせたい。
A、B、Cという選択肢も知らせていい。
しかし、意思決定者自身に比較してもらいたいなら、「B案がおすすめです」という書き手側の判断をいつ提示するかは、別に考えることができる。
つまり、
情報をいつ出すかと、
意味をいつ確定するかは、同じではない。

AIは意味を作るのがうまい
ここに生成AIの面白さと危うさがある。
生成AIに、いくつかの事実を渡す。
すると、きれいにつないでくれる。
Aという経験があった。
Bという考え方をしている。
現在Cに取り組んでいる。
AIは、この三つの間に橋を架ける。
しかも、その橋はかなり立派である。
読みやすい。
筋も通っている。
図解にすると、さらに説得力が出る。
でも、その橋を本人が架けたとは限らない。
AIが点と点を結んで、もっともらしい意味を生成しただけかもしれない。
以前、私自身の過去の発言をAIに読ませていたとき、面白いことが起きた。
私が初めて海外へ行ったころの話の中に、
「日本国内を旅行して回ったこともないのに、海外に行く資格なんてあるのか」
という昔の自分の言葉があった。
AIは「資格」という言葉に反応した。
海外へ行くための「資格」とは何なのか。
国内をどこまで旅行すれば、その条件を満たすのか。
そこに何らかの判断基準があったのではないか。
どんどん意味を掘り始めた。
でも私自身に聞いてみると、そんな大層な意味ではなかった。
初めて海外へ行くことがうれしくて、舞い上がっていた。
そのテンションの中で、当時の理屈っぽい自分がそんなことを言った。
たぶん、それくらいの話だった。
AIは、意味がありそうな言葉を見つけ、そこへ意味を作りすぎてしまったのである。
この経験から、私は文章を見るときに、少し違うことを考えるようになった。
誤字脱字がないか。
論理が通っているか。
文章が読みやすいか。
それだけではない。
どこで意味が生成されたのか。
その意味は、本当にEvidenceから言えるのか。
そして、
その意味を、読者へいつ渡すべきなのか。
そんなことまで考える必要があるのではないか。
私はこれを最近、「意味の監査」と呼んでいる。

この記事も、小さな実験だった
さて。
この記事のタイトルは、
なぜ「なぜ〇〇は△△なのか」というタイトルは読者を強く引きつけるのか
だった。
タイトルを読んだ時点で、問いは分かっていた。
でも答えは、まだ確定していなかった。
そこからいくつかの例を見てもらった。
そして途中で、
「なぜ〇〇は△△なのか」は、情報を隠しているのではなく、意味の確定を保留している
という解釈を置いた。
そこから、提案書、プレスリリース、生成AIへ話を広げた。
つまりこの記事自体が、
問いを開く
→ 保留する
→ 見せる
→ 意味を確定する
→ 広げる
→ 回収する
という構造でできている。
もしタイトルを見たときに、
「なんでだろう」
と思ってここまで読んでしまったのなら。
その答えの一部は、もう読者自身が実験してくれたことになる。
そして、たぶん面白いのはここからだ。
文章を書くという行為は、情報を正しい順番に並べることだけではない。
読者の中で、意味がいつ生まれるのかを設計することでもある。
そう考えると、プレゼンテーションも、提案書も、広報も、会話も、そして漫才まで、少し違って見えてくる。





