好きな食べ物は、やきそば。たぶん。

「好きな食べ物は?」と聞かれると、反射的に「やきそば」と答えてきた。嘘ではないが、純粋な嗜好調査の結果でもない。趣味、ホーム、好きな食べ物。自己紹介で差し出す短い答えは、本体ではなく取っ手なのかもしれない。

「好きな食べ物は?」と聞かれると、昔から反射的に「やきそば」と答えてきた。

焼きそばは実際に好きだ。ただ、それがあらゆる食べ物の中で一番なのかと聞かれると、よく分からない。苦手な食べ物がほとんどなく、そもそも好きなものに順位をつけるのが難しい。

それでも「やきそば」という答えだけは早くから決まっていた。漫画『伊賀のカバ丸』の主人公が、焼きそばには目がないというキャラクターだったからだ。自分も焼きそばが好きだった。だから聞かれたときには、そう答えるようになった。

嘘ではない。けれど、純粋な嗜好調査の結果でもない。

自分の中にある好みと、漫画から借りた言葉が、ちょうど都合よく重なってできた答えだった。

自分の中にある好みと、漫画から借りた言葉が重なったところに「やきそば」という答えができたことを示す図

この話だけなら、子どもの頃に作った自己紹介がそのまま残っている、という小さな思い出で終わる。ところが、別の質問への答えを並べてみると、少し変なことが起きる。

「趣味は何ですか」と聞かれるのが、最近はつらい

「趣味は何ですか」と聞かれるのが、最近はつらい。

寝ることとNetflixを見ることくらいしか、すぐには出てこない。映画やアニメやドラマを見る時間は、同世代の社会人と比べてもかなり多いと思う。それなのに、Netflixを見ている時間を「遊んでいる」とはあまり感じない。

むしろ、新しいアプリを作ったり、CloudflareやVercelのようなウェブサービスを攻略したり、AIと対話しながら新しい仕組みを考えたりしている時間の方が、本人にとっては遊びに近い。外から見れば仕事であり、新しい製品の設計にも見える。本人も外向けには、そう説明するかもしれない。それでも内側の感覚では、遊びなのだという。

Netflixや映画を見る時間は長いのに遊びとは感じず、外から見れば仕事に見える時間の方が本人には遊びに近い、という時間の長さと感じている意味のずれ

好きな食べ物なら、順位をつけられなくても「やきそば」と答えられた。趣味になると、たくさん時間を使っている行為を挙げても、どうもしっくりこない。時間の長さと、本人が感じている意味が一致しないからだ。

地球、日本、北海道

「ホームはどこですか」という質問では、さらに答えが分かれる。

地球がホームでいい、と言ってみる。けれど、それには少し格好をつけたところや、嘘が混じっている気もする。海外出張から日本へ戻れば、たしかに「帰ってきた」と感じる。

では北海道が帰るべき場所なのかというと、それも違う。ルーツを持つ特別な土地ではある。しかし、いつかそこへ帰らなければならないとは思っていない。

地球、日本、北海道。どれか一つが正解で、残りが間違いという話でもなさそうだ。思想として選びたい答え、身体が先に反応する答え、来歴を説明する答えが、それぞれ別の場所を指している。

地球、日本、北海道が、思想として選びたい答え、身体が先に反応する答え、来歴を説明する答えとして、それぞれ別の場所を指している図

三つの質問は、どれも自己紹介でよく使われる。

好きな食べ物。趣味。出身地や故郷。

質問する側は、一語か二語で返ってくることを期待している。「やきそば」「映画鑑賞」「北海道」。プロフィール欄にもきれいに収まる。

けれど、答える側の中に、その一語と同じ形をしたものが最初から入っているわけではないらしい。

焼きそばは、実際の好みであると同時に、漫画から見つけて長く使ってきた回答でもある。Netflixは大量に見ているが、遊びとは感じていない。北海道は特別だが、帰還先ではない。

質問する側は「やきそば」「映画鑑賞」「北海道」という一語か二語を期待しているが、答える側の中にその一語と同じ形をしたものが最初から入っているわけではないことを示す図

分類を嫌う人の話なのか

最初は、これは分類を嫌う人の話なのかと思った。

そう考えると説明は簡単になる。「一番好きなものを決めたくない」「仕事と遊びを分けたくない」「故郷という枠に縛られたくない」。三つの話が、一つの性格できれいにつながる。

ただ、少し違う気がする。

分類そのものを拒んでいるわけではない。「好きな食べ物はやきそば」という分類は、長いあいだ自分でも使っている。仕事という説明も、必要なら外向けに使う。北海道をルーツのある土地と呼ぶことにも抵抗はない。

嫌なのは分類ではなく、短い答えが、そのまま本人の中身だと思われることなのかもしれない。

取っ手は本体ではない

自己紹介で差し出す答えは、自分を完全に説明するものではない。むしろ、複雑なものをいったん相手が持てる大きさにした、取っ手のようなものだ。

取っ手は本体ではない。それでも、偽物というわけでもない。長く使っているうちに手になじみ、ときには本体の一部になっていく。

複雑なものに付いた取っ手。取っ手は本体ではないが偽物でもなく、長く使っているうちに手になじみ、ときには本体の一部になっていくことを示す図

『伊賀のカバ丸』から借りてきた「やきそば」という答えも、そうなのだろうか。最初は質問に答えるために選んだ言葉だったとしても、何十年も答え続ければ、それはもう借り物とだけは呼べない。

だから、好きな食べ物をもう一度聞かれても、やはり「やきそば」と答えるのかもしれない。

たぶん。

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