「もう遅いですよ」と言われた。なぜ私は「帰った方がいい」と思ったのか――Meaning AuditからGriceと含意を訪ねる

「もう遅いですよ」と言われて、「帰ってください」とは言われていないのに、そろそろ帰った方がいいと受け取る。言われたこと以上の意味は、どうやって生まれるのか。シリーズ「意味の地図をつくる」第4回は Grice と含意を訪ねる。

「帰ってほしい」は、どこにあったのか

夜十一時。友人の家で話し込んでいる。

話が一段落したところで、友人がちらりと時計を見て言う。

もう遅いですよ。

友人は「帰ってください」とは言っていない。それでも私は、そろそろ帰った方がよさそうだ、と受け取る。

では、その「帰ってほしい」は、どこにあったのだろう。

文には書かれていない。少なくとも表面上は、「もう遅いですよ」は時間が遅いことを述べている。そこに「帰ってください」という言葉はない。

かといって、私の勝手な思い込みとも言い切れない。友人の方も、こちらがそう受け取ることを、ある程度は見込んで言っているように思える。もし私が「そうですね、遅いですね」と相づちだけ打って話を続けたら、友人はたぶん少し困る。

言われたこと以上の意味が、どうやって生まれているのか。今回は、そこを考えたい。

言われたことより、少し多くを受け取っている

整理すると、こうなる。

「もう遅いですよ」という文が言っているのは、時間が遅いということだ。けれどもその場では、私は「そろそろ帰った方がいい」まで受け取った。相手が言った言葉そのものより、もう少し多くのことを、私は受け取っている。

「もう遅いですよ。」という一言から、「言われたこと:時間が遅い」と「推論された意味:そろそろ帰った方がいい?」を分けて示した図。二つは直接つながっておらず、間に「文脈・協調の前提(夜十一時、友人の家/会話は成り立っているはず)」を経由している。「でも、まだ帰らなくて大丈夫ですよ」と続けば、推論された読みは消える(取り消し可能性)ことも添えている

この「言っていないのに伝わった部分」に、哲学と言語学では名前が付いていた。implicature である。

今回の入口は、Stanford Encyclopedia of Philosophy(SEP)の “Implicature” という項目(Wayne Davis)だった。項目の冒頭は、implicature を、何か別のことを言うことによって、あることを意味したりほのめかしたりする行為、またはその中身だと説明している。原文では “the act of meaning or implying one thing by saying something else” である。

項目によれば、H. P. Grice は、話し手が意味していることと、話し手が使った文が意味していることが食い違う場面を、初めて体系的に研究した人だという。項目に出てくる例はこうだ。パーティーに来るかと聞かれて「仕事があるんだ」と答える。答えた人は「行かない」とは言っていないし、その文も「行かない」という意味ではない。それでも、行かないということを意味している。Grice は、この「言ったこと」と「それによって意味したこと」がずれる場合のために、implicate と implicature という専門用語を導入した、とある。

今回も、専門家として解説するのではなく、読んで理解できた範囲を記録する。Grice の原典(“Logic and Conversation” など)は、今回は読んでいない。

日本語では「会話の含意」と訳されている。東京外国語大学の講義資料(野元裕樹「意味論・語用論」)でも、conversational implicature を「会話の含意」と呼んでいた。ただし、日常語の「含意」は「言外に含まれた意味」くらいの広い言葉で、ここでいう会話の含意は、Grice の枠組みの中での専門用語である。同じ資料では、文の意味から論理的に必ず出てくる意味(entailment)には「伴立」という別の訳語を当てて、会話の含意と区別していた。この記事では、「含意」を Grice の意味で使う。

第3回との違い

前回は、同じ「もう遅いですよ」が、来客、締切、夜更かしという場面によって、違う意味で受け取られることを見た。文脈によって、意味が変わる。

今回見ているのは、その一歩先だ。文脈を手がかりにして、聞き手が、明示されていない意味を推論している。「時間が遅い」から「帰った方がいい」へ進むところには、何らかの推論がある。

ただし、この境目も、言うほど単純ではないらしい。SEP の “Implicature” は冒頭で、語の意味や文から必ず出てくる意味と、会話の中で一般的に生まれる含意をどう区別するかは、意味論にとって重要な問題だと書き、関連して、文の意味が「言われたこと」をどこまで決めるのかも問題になる、と続けている。前回見た「何が言われたか」の境界の議論と、ここでつながっている。

なぜ、この人は今これを言ったのか

では、聞き手は何を手がかりに推論しているのか。

Grice の出発点にある直感は、たぶん多くの人に覚えがあると思う。

会話をしている相手は、無関係なことをでたらめに言っているわけではない。何らかの形で、この会話を成り立たせようとしている。だから、相手の一言が一見ずれていても、私たちはそれを捨てずに考える。なぜこの人は、今、この言い方をしたのだろう、と。

パーティーに来るかと聞かれて「仕事があるんだ」と答えた人は、急に仕事の話を始めたわけではないはずだ。質問に答えようとしているのなら、仕事があることが答えになっているはずだ。そう考えると、「だからパーティーには行けない」が出てくる。

この「会話が会話として成り立っている以上、相手の発言には、この場で何らかの意味があるはずだ」という前提に、Grice は名前を付けた。Cooperative Principle、日本語では「協調の原理」と訳されている。

SEP に引かれている形では、“Contribute what is required by the accepted purpose of the conversation.”、つまり、会話の受け入れられた目的が求めるものを提供せよ、という原理である。

Grice はさらに、どう協調するかを四つに分けた。普通の言葉にすると、必要なだけの情報を出す、本当だと思うことを言う、関係のあることを言う、分かるように言う、という期待である。これらは maxim(格率)と呼ばれ、それぞれ量、質、関係、様態の格率と訳されている。

Grice の協調の原理や四つの格率そのものについては、日本語でも多くの解説が公開されている。今回は Grice を網羅的に紹介することが目的ではないので、一つずつ詳しくは追わない。興味を持った人は「グライス 協調の原理」などで調べると、入門的な解説がいくつも見つかるはずだ。ここで知りたいのは、私たちが「言われたこと」以上の意味を、どうやって読み取っているのか、という点である。

ここで、一つ誤解しやすい点があった。協調の原理は、「人間はいつも協力的だ」という主張ではない。相手の言葉を解釈するときに、ひとまず置いている前提である。

そして、この前提そのものにも批判がある。SEP は、会話の参加者が共通の目標だけを目指しているという想定について、“pure cooperation is generally an unrealistic idealization or naive assumption”(純粋な協力は、多くの場合、非現実的な理想化か素朴な想定である)という指摘を紹介している。会話は対立する者どうしのあいだでも起きるし、友人どうしでも目的がずれていることは多い。

外れているからこそ、意味があると読む

今回いちばん面白かったのは、四つの格率の一覧よりも、その使われ方だった。

料理、どうだった?

店員さんは親切だったよ。

料理の感想を聞かれたのに、料理については何も言っていない。普通の会話の期待からは、少し外れている。

それでも私たちは、この答えを「無意味」と捨てない。料理については、褒めることがなかったのかもしれない。そう読み直す。

A「料理、どうだった?」とB「店員さんは親切だったよ。」の会話の図。聞いたのは料理なのに、答えたのは店員さんのことで、質問と答えが少しずれている。そこから「料理については?」という問いが生まれ、聞き手は「料理については、褒めることがなかったのかもしれない」という意味を補う

SEP には、Grice 自身の有名な例が紹介されていた。哲学の職に応募する学生のための推薦状に、こう書かれている。英語力は優れており、指導への出席も規則的でした。それだけで終わっている。推薦状なのに、哲学の能力について一言もない。そのことで、書き手はこの学生が候補として弱いことを伝えている、という例である。SEP はこれを、控えめにほめることで実はけなす話し方(damning with faint praise)の典型として挙げている。

Grice は、こうした含意の一部を、格率を「あからさまに破る」こと(flouting)から説明した。SEP の言い方では、協調しているはずの話し手の発言が、あまりにも明らかに格率に反しているので、聞き手は話し手が何か別のことを意味していると推論せざるをえない場合である。皮肉はその代表で、吹雪の中で「いい天気だね」と言えば、悪い天気だということが伝わる。

普通の会話の期待から少し外れているからこそ、私たちはその裏に意味があると読む。言っていない意味は、そこで推論によって生まれている。

会話の含意は、取り消せる

もう一つ、Meaning Audit にとって大事になりそうな性質があった。

もう遅いですよ。でも、まだ帰らなくて大丈夫ですよ。

こう言われたら、「帰った方がいい」という読みは消える。最初の一言だけでは生まれていた意味が、後ろの一言で取り消される。

SEP によれば、Grice 以来、会話の中で一般的に生まれる含意は、文の意味そのものから出てくる含意と違って取り消すことができる(cancelable)、という見方が広く受け入れられているという。パーティーの例でも、「仕事があるんだ」のあとに「でも、早めに抜けられるかもしれない」と付け加えていれば、「行かない」という含意は生まれなかった、と説明されている。

文に直接書かれた意味は、後から簡単には取り消せない。「時間が遅い」と言ったあとで「でも時間は遅くない」と言えば、矛盾になる。こうした会話の含意には、後から打ち消すことができるという特徴がある。

あわせて、Grice は会話の含意が “must be capable of being worked out”、つまり、言われたことと協調の原理と文脈から、筋道を立ててたどり直せるものでなければならない、とも考えていた(SEP では calculability と呼ばれている)。推論された意味は、自由な連想とは違う。手がかりからたどれる道筋がある、ということだ。

Grice ですべてが説明できるわけではない

ここまで読むと、Grice の枠組みで会話の含意はきれいに説明できるように見える。ところが SEP は、Grice 自身は自分の考えを試みの段階のものとみなしていたのに、後に続く人たちがそれを確立した理論として扱った、と書いている。原文は “While Grice viewed his ideas as tentative and exploratory, followers have taken the theory to be well established.” である。

項目は、そのうえで深刻な難点が出てきたとして、いくつか挙げている。格率から推論できる含意が多すぎてしまうこと。どの含意なのかが一つに決まらないこと。格率どうしがぶつかること。そして、話し手には効率よく伝えること以外の目的がしばしばあること。Grice の原理を修正する立場(Neo-Gricean)や、別の原理に置き換える立場(関連性理論)もあるという。

今回は、こうした後続の議論には踏み込まない。ただ、Grice が示したのは、明示的に言われたこと以上の意味を聞き手がどう推論するかを考える、影響力の大きな枠組みであって、会話の意味をすべて説明し終えた理論ではない、ということは書いておきたい。

書いていないことは、言っていないことなのか

ここから、少し実務に寄せて考えたい。

SEP には、言うことと含意することの違いは、話し手をどう評価するかにも関わる、という一節があった。パーティーの例で、本当は仕事がないのに「仕事があるんだ」と言ったなら、それは嘘である。けれども、仕事は本当にあって、しかもパーティーには行くつもりだったなら、相手を誤解させた責任はあっても、“not of lying or making a false statement”、つまり嘘をついたことにも、偽りの陳述をしたことにもならない、という。

項目の冒頭は、含意が果たす役割の一つとして、“misleading without lying”(嘘をつかずに誤解させること)を挙げていた。

これは、資料を読む側にとって、かなり気になる話だ。「書いていないから、その意味は存在しない」とは限らない。書き手は直接言わずに、読み手をある結論へ導くことができる。

一方で、逆も言えない。読み手がそう受け取ったからといって、書き手がその意味を意図していたとは限らない。SEP は、話し手が何を意味しているかは話し手の意図によって決まる、ということは広く合意されていると書いている。そして、“What someone implicates is not given to us directly. We have to infer it from evidence.”(誰かが何を含意しているかは、直接には与えられない。証拠から推論しなければならない。)とも書いている。

読み手が推論した意味と、書き手が意味した含意は、重なることもあれば、ずれることもある。この二つのあいだをどう扱うかは、資料を監査するときに避けて通れない問題になりそうだ。

資料の上で、言っていない意味

ここからは、Grice の会話の含意そのものを文書に当てはめるのではなく、そこから得た「明示された意味と、そこから生まれる意味を分ける」という視点を、資料へ持ち帰って考えてみたい。以下の例には、「完全復活」のように、表現そのものは明示的に書かれているものも含まれる。

具体的な場面で考えてみる(会社も数字も、仮の例である)。

ある資料に、こう書かれている。

売上は前年より10%増えた。

その上に、大きく

完全復活

という見出しがある。

「完全復活」は、10%増という数字から直接出てくる意味ではない。前年が大きく落ち込んでいたなら、10%増えても元の水準には届いていないかもしれない。それでも見出しは、読み手に「もう元に戻った」と受け取らせる。

書かれている数字「売上は前年より10%増えた」と、書かれている見出し「完全復活」から、どこにも書かれていない「もう元の水準に戻った?」という意味を読み手が受け取りうることを示した図。10%増という数字からは元の水準に戻ったかどうかは分からないが、数字と見出しの組み合わせが読み手をその読みへ誘う。会社も数字も仮の例

別の資料では、

顧客満足度は80%でした。

という数字に、

多くの顧客から高い評価

という説明が添えられている。80%という数字に、「多くの」「高い評価」という評価が加わっている。

もう一つ、こういう場合もある。ある製品で不具合が起きた時期と、別の会社の製品の出荷が重なっていた、という事実が並べて書かれている。「この製品が原因だ」とは一言も書いていない。けれども、二つの事実を並べる順序と、見出しの付け方によって、読み手が「あの製品が原因らしい」と受け取るように組み立てられている。

成果物は、どこまで「言っている」のか。読み手は、どこから先を自分で推論しているのか。そして、その推論を成果物の側が誘っているとき、それをどう扱えばよいのか。

意味の監査との接続

ここからは、私の側の考察として書く。

まず、普通の言葉で整理する。資料に何が書かれているかと、読み手がそこから何を受け取るかは、別のことだ。そのあいだには、読み手の推論がある。そしてその推論は、まったくの自由連想ではなく、資料の言葉、置かれ方、読み手が持っている前提に誘われて起きる。

意味の監査の言葉で言い直すと、こうなる。

「売上は前年より10%増えた」「完全復活」という表現そのものは、Evidence / Source の段で確認できる。それぞれが文として何を意味しているかは、Interpretation の段の問題になる。「完全復活」が数字から言えることを超えているかどうかは、Inference / Warrant の段で問われる。見出しが上に大きく置かれ、先に読まれることで、読み手の推論が誘われるのは、前回見た Context / Pragmatics の段だ。そして最後に、資料全体として「もう元に戻った」という意味を採用しているかどうかが、Commitment の段で問われる。

「書いていない意味も、意味の監査の対象になりうるのか」という問いについては、少なくとも今の意味の監査は、すでにその一部を対象にしている。意味の監査の Finding Type(指摘の種類)には、相関・並置・時系列が因果として提示されたり示唆されたりする場合を記録する CAUSAL_IMPLICATION がある。製品の例は、まさにこれに当たる。ほかにも、確度や強さが根拠より強く提示される場合を記録する AMPLIFICATION がある。意味の監査は、「示唆」も監査の対象として設計されていた。

ただし、意味の監査は、書き手の意図を判定しない。意味の監査で AI が行うのは、意味の動きを追い、露出させ、問いを立て、分類するところまでで、判断は人間がする。Grice の枠組みでは、含意は話し手の意図によって決まるとされていた。意味の監査が見ているのは、成果物の上で、どの表現と置かれ方が、どんな推論を誘っているか、のほうだと思う。この二つは似ているが、見ている場所が違う。

もう一つ、取り消し可能性は、監査の上でも役に立ちそうに思える。会話の含意には後から打ち消せるという特徴があった。それを手がかりにすれば、成果物のどこかに、その推論を打ち消す記述があるかどうかを確かめることができる。「完全復活」の資料に、どこかで「ただし前々年の水準にはまだ届いていない」と書かれていれば、読み手の推論を弱める方向には働く。ただ、本文の片隅にある打ち消しが、大きな見出しの作る推論と釣り合うのかどうかは、また別の問題だ。

ここでも、二つは同じものではない。Grice の含意は、話し手と聞き手のあいだで起きる推論についての理論で、意味の監査は、成果物の中で意味がどこで動いたかを追う方法である。それでも、「明示された意味」と「推論された意味」を分けて記録する、という考え方は、意味の監査にとってかなり使えそうだと感じた。

意味の監査から見た地図(第4回)

これまでと同じく、左に意味の監査の段、右に今回の学問から投げかけられる問いを置く。Grice と含意の考え方を、意味の監査の段に挿入したのではない。今回は、問いが Interpretation、Inference / Warrant、Context / Pragmatics のあたりに集まった。

意味の監査の五つの段と、Grice・含意から投げかけられる問いを並べた見取り図。Evidence / Source(「売上は前年より10%増えた」「完全復活」という表現)には「実際に何と書いたのか/何と書いていないのか」。Interpretation(それぞれの表現が文として何を意味するか)には「文として言っていることと、そこから伝わることを分けているか」。Inference / Warrant(10%増から「完全復活」へ進めるか)には「読者は何を補って推論したのか/その推論は、手がかりからたどり直せるか」。Context / Pragmatics(見出しが上に大きく、先に読まれる)には「なぜその置かれ方で、その推論が自然に生まれたのか/一見ずれた表現が、裏の意味を読ませていないか」。Commitment(資料として「もう元に戻った」を採用しているか)には「成果物は、推論された意味をどこまで引き受けているのか/その推論を打ち消す記述はあるか」。Interpretation、Inference / Warrant、Context / Pragmatics の三段を強調している。既存の段に問いを重ねたもので、新しい仕様ではない

注記: 右の問いは、Grice や含意の理論の正式なモデルではなく、今回読んだ範囲から私が拾った問いである。

今回分かったこと

  • 私たちは、相手が明示的に言ったこと以上の意味を、日常的に読み取っている。その「言っていないのに伝わる部分」は、implicature(会話の含意)と呼ばれている。
  • その推論は自由な連想ではない。会話が会話として成り立っているはずだという前提(協調の原理)と、言われたことと文脈に支えられていて、たどり直せる筋道がある。
  • Grice の言う会話の含意には、後から打ち消すことができる(取り消し可能性)という特徴が挙げられている。文に直接書かれた意味とは、そこが違う。
  • 含意は「嘘をつかずに誤解させる」ことにも使われる。書いていないことでも、成果物が読み手に推論させている意味はある。
  • Grice の枠組みは影響力が大きいが、試みの段階の考えとして出されたもので、その後も批判と修正が続いている。

まだ分からないこと

  • 読み手が推論した意味を、どこまで書き手や成果物に帰属できるのか。Grice の枠組みでは含意は話し手の意図で決まるが、意味の監査は意図を判定しない。この二つをどうつなげばよいのか。
  • 本文の片隅にある打ち消しは、大きな見出しが作る推論を、どこまで打ち消したことになるのか。
  • AI は、Grice が考えたような含意を、人間と同じように理解したり生み出したりしているのか。今回の資料には、AI についての議論はなかった。
  • 意味の監査の Inference / Warrant と Context / Pragmatics と Commitment の境界は、含意を扱うときにどう切ればよいのか。(第3回から続く問い)

次回

「もう遅いですよ」は、言葉以上の意味を運んでいた。

では「約束します」はどうだろう。これは何かを説明しているというより、言ったことで何かをしているように見える。

次は、言葉を「行為」として見る、発話行為論を訪ねる。


出典

引用した英文の日本語訳は筆者による。Grice の “Logic and Conversation”(1975)、推薦状の例を含む原典、および項目内で言及されている後続研究は、今回は読んでいない。推薦状と吹雪の例は SEP の項目に紹介されているものによる。

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