· 技術革新とデジタルトレンド · シリーズ: 意味の地図をつくる · 読了目安 10 分
「思えば、そうなる」の矢印は、どこまで追えるのか?――Meaning AuditからJames Allenを訪ねる

建物ができる前には、図面があった
駅前に新しいビルが建った。
建物ができる前には図面があり、その図面が描かれる前には、誰かの頭の中に「こういう建物を作ろう」という考えがあった。
ここまでは、たどれる。図面は残っているし、発注の記録も、工事の記録もある。頭の中の考えは、図面という形で外に出てきている。
では、目の前にある結果には、いつもその前に「思い」があるのだろうか。
第11回では、外から見える事実から、見えない内心を推し量った。今回は向きが逆になる。内側の思いから、外の結果へ向かう矢印である。
『「原因」と「結果」の法則』
第10回で Hume を読んだあと、自分の本棚にある『「原因」と「結果」の法則』が急に気になった。
イギリスの James Allen が1903年ごろに出した As a Man Thinketh の邦訳だ。題は、第1章の冒頭に引かれた格言 “As a man thinketh in his heart so is he”(人は心で考えるとおりの者である)の書き出しと同じだ。この格言は旧約聖書の箴言の一節とほぼ同じ言い回しで、「原因と結果」という言葉は原題にはない。
原書の第1章には、こうある。
cause and effect is as absolute and undeviating in the hidden realm of thought as in the world of visible and material things.
(原因と結果は、目に見える物質の世界と同じく、隠れた思考の世界でも、絶対で、ぶれることがない)
Hume は、出来事を結ぶ「必ずそうなるつながり」そのものは見えない、と言った。Allen は、因果は物質の世界でも思考の世界でも絶対だ、と言う。まるで反対側から因果を眺めているように見えた。
「考えれば叶う」とは書いていない
ところが読み進めると、印象が少し変わった。
Allen は、願えばそのまま叶う、とは書いていない。人が手にするのは、願ったり祈ったりしたものではなく、正当に得たものだ、と書いている。
思考は習慣になり、習慣は境遇に固まる、とも言う。そして、こう続ける。
A man cannot directly choose his circumstances, but he can choose his thoughts, and so indirectly, yet surely, shape his circumstances.
(人は境遇を直接選ぶことはできない。しかし思考は選べる。そうして間接的に、しかし確実に、境遇を形づくる)
思考と境遇のあいだには、行為があり、習慣があり、努力がある。Allen 自身が、矢印をいくつかに分けて書いていた。
一つの矢印の中に、いくつの矢印があるのか
「思考が現実をつくる」と一言でまとめると、その途中が見えなくなる。開いて、私なりに並べてみると、たとえばこうなる。
思考 → 行為 → 習慣 → 結果 → 境遇
「思考が現実をつくる」という一文の中には、いくつもの「→」が折りたたまれている。

冒頭の建物なら、途中の段がそれぞれ外に記録を残す。図面があり、発注があり、工事がある。だから途中の段を追いやすい。
では「思考 → 境遇」や「思考 → 運命」まで、同じように追えるのだろうか。「思考 → 運命」となると、途中の段は外にほとんど記録を残さない。
Allen の証拠は、どこにあるのか
Allen は、その法則を何で確かめるのか。
答えは、内側だった。Allen によれば、この真理の証明は一人ひとりの中にあり、体系的な内省と自己分析で、たやすく調べられる。自分の心と人生の中で思考の法則の働きをたどるまでは、単なる外の事実は推論の根拠にならない、とまで言う。
読んでいて、第11回を思い出した。Allen は、人の魂の状態の全体は、その人の生活の外側だけからは他人に判断できない、とも書いている。外から内心は見えない。ここまでは、第11回と同じところに立っている。
違うのは、そこから先だ。裁判所は、外から見える事情から内心を推し量る道を探した。Allen は、証拠を本人の内側に置いた。
Hume も、同じ場所を通っていた
Hume を読み返すと、Hume もこの場所を通っていた。
自分の意志で腕を動かすとき、心の中に力を感じているように思える。そこから「力」や「必ずそうなるつながり」の考えが得られるのではないか。Hume は、この見方を取り上げて検討している。
Hume は、意志の命令に身体の動きが続くことは、いつも意識している、と認める。けれど、それがどうやって起きるのかについては、こう書く。
it must for ever escape our most diligent enquiry.
(それは、どれほど熱心に探っても、永遠にとらえられない)
意志の働きも、経験から学ぶしかない、と Hume は言う。
二人は、「思いのあとに行動が続く」ことでは争っていない。ぶつかるのは、思いと結果の結びつきを内側から知ることができるか、という一点だ。Allen は内省で確かめられると言い、Hume は内側をのぞいてもその結びつきは見えないと言う。
全体としては、二人は別の問いに答えている。Hume が問うのは、因果を私たちは何によって知るのか。Allen が説くのは、人は自分をどう変えられるのか。反対に見えたのは、同じ「原因と結果」という言葉が、違う問いの中で使われていたからなのだと思う。
外れた例は、どう説明されるのか
Allen は、ある面では正直な人が貧しく、ある面では不正直な人が豊かになる例も取り上げている。
答えはこうだ。正直な人にも、もう一方にはない悪徳があり、不正直な人にも、もう一方にはない美徳がある。そして、自分の苦しみが悪い性質ではなく善い性質の結果だと言えるのは、心から不純な思考をすべて取り除いた人だけだ、とする。
これなら、外から見える反例は、見えない内側の思考でいつでも説明できてしまう。外の証拠で、この法則が外れたと確かめる道は、ほとんど残っていないように見える。
この書き方は、苦しんでいる人の境遇を、本人の思考のせいにする読み方にもつながりうる。
どこまでが追跡で、どこからが世界観なのか
どこまでが因果の追跡で、どこからが世界観なのか。
建物と図面のあいだは、記録をたどって追える。
けれど、途中の段が外にほとんど記録を残さず、証拠が本人の内側にしかなく、外れた例がいつも見えない理由で説明される矢印もある。私は、そこまで来ると、因果を追跡するというより、一つの世界観として読む方が近いように感じた。
世界観として読むことは、否定することではない。Allen の本は、生き方の指針として読まれてきた。ただ、それを「たどって確かめた因果」として書けば、文書は自分が支えられないものまで引き受けることになる。
図面から建物ができるまでの道筋は追える。でも、思いから運命までを、同じ一本の線で結べるとは限らない。
報告書の一文に戻る
報告書でも、同じ形の文に出会う。
チームの意識改革が、売上の改善につながった。
この一文も、開くといくつもの矢印になる。意識が変わった、行動が変わった、顧客への対応が変わった、売上が伸びた。それぞれの矢印に、何が根拠として書かれているだろうか。
途中の段が書かれていないなら、その一文は、いくつもの Warrant を一つに畳んでいるのかもしれない。
意味の監査から見た地図(第12回)
| 意味の監査の段 | 今回の訪問から生まれた問い |
|---|---|
| Evidence / Source(図面、工事の記録、行動の記録) | 途中の段は、外に記録を残しているか/証拠は、書き手の内側にしかないのではないか |
| Inference / Warrant(「意識改革が売上につながった」) | 一つの「→」に、いくつの矢印が折りたたまれているか/外れた例を、どう扱っているか |
| Commitment(文書が引き受けていること) | 「たどって確かめた因果」として書いているのか、「考え方」として書いているのか |
注記: 右の問いは、今回の訪問から私が拾ったもので、Allen や Hume の理論の図式ではない。
今回分かったこと
- 『「原因」と「結果」の法則』の原題は As a Man Thinketh で、「原因と結果」は原題の言葉ではない。
- Allen は「考えれば叶う」とは書いていない。思考と境遇のあいだに、行為・習慣・努力を置き、境遇は「間接的に、しかし確実に」形づくられると書いている。
- 一方で、因果は思考の世界でも「絶対」で、その証拠は内省にあるとする。外れた例も、外からは見えない内側の悪徳や美徳で説明される。
- Hume と Allen は、ほとんど別の問いに答えている。ぶつかるのは、思いと結果の結びつきを内側から知れるか、という一点である。
- 途中の段が外に記録を残す矢印は追いやすい。残さない矢印は、因果の追跡というより、世界観として読む方が近いように感じた。
まだ分からないこと
- 長い因果の系列を一文で書くとき、どれだけの橋が省かれているのか。
- 内省を証拠とする矢印を、意味の監査はどう読めばよいのか。
- 組織や市場や文化のように、一人の設計図では説明できないものでは、「最初の設計図」と呼べるものはあるのか。
- 追跡として読むべき文と、世界観として読むべき文の境は、どこに引けるのか。
次回
次にどの問いへ進むかは、まだ決めていない。
出典
- Allen, J., As a Man Thinketh(1903年ごろ). Project Gutenberg #4507 https://www.gutenberg.org/ebooks/4507
- 邦訳: ジェームズ・アレン『「原因」と「結果」の法則』坂本貢一訳、サンマーク出版、2003年(書誌のみ確認)
- The Holy Bible, King James Version, Proverbs 23:7. Project Gutenberg #10 https://www.gutenberg.org/ebooks/10
- Hume, D., An Enquiry concerning Human Understanding(1748), Section VII(とくに 7.9–7.13。因果のつながりについては第10回も参照). davidhume.org のテキスト https://davidhume.org/texts/e/7
Allen と Hume の引用の日本語訳は筆者による。Allen の初版の年は、早期版の版権表示(“Copyright, 1903 By James Allen”)による推定。駅前のビルと報告書の一文の例は筆者による。





