· 技術革新とデジタルトレンド · シリーズ: 意味の地図をつくる · 読了目安 23 分
「前年比4%増」だから「回復した」と言えるのか――Meaning Auditから科学哲学を訪ねる

翌月の会議で
翌月の会議で、売上の報告スライドがまた映された。
今回のグラフは、縦軸が0から始まっていた。前年と今年の棒は、ほとんど同じ高さで並んでいる。色も矢印もない。棒の下には、前と同じ数字が書かれていた。
前年比4%増。
数字は記録と合っている。グラフも、記録とつながっていて、似方も崩れていない。前回、記号論を訪ねて見直した三つの点は、どれも問題がなさそうだった。
ただ、スライドのタイトルが変わっていた。
今期は回復した。
これを読んだとき、また少し引っかかった。グラフはもう、数字以上のことを言っていない。言っているのは、タイトルの言葉のほうだ。
(この場面は、前回と同じく、説明のために作った仮の例である)
記録は正しい。では、結論は
前回の最後に、こんな問いを残していた。仮にグラフが記録ときちんとつながっていて、縦軸も0から始まっていたとしても、「前年比4%増」という記録は、「今期は回復した」という結論を、どこまで支えるのだろう。
考えてみると、4%増という記録に合う話は、一つではない。
本当に事業が持ち直したのかもしれない。去年がたまたま悪かっただけで、今年は元に戻っただけなのかもしれない。値上げで単価が上がり、売れた数はむしろ減っているのかもしれない。大口の顧客が一社、まとめて発注しただけかもしれない。前回のスライドに小さく書かれていた「新規顧客の寄与は未確認」も、まだ確かめられていない。
どの話を選んでも、「前年比4%増」という記録とは矛盾しない。
記録が正しくても、その記録から結論を言えるとは限らない。データから結論までのあいだで、何が足されているのだろう。
証拠と仮説のあいだを考える分野
この問いは、第1回から先送りにしてきたものでもある。第1回では、AI が出した「15%」という数字について、「証拠が仮説をどう支えるかを扱う分野があるので、そこで再訪したい」と書いていた。その分野が、科学哲学だった。
科学哲学が扱う範囲はとても広い。今回はそのうち、証拠と仮説のあいだを扱う部分だけを訪ねた。
入口にしたのは、Stanford Encyclopedia of Philosophy(SEP)の “Confirmation”(Vincenzo Crupi)である。この項目は冒頭で、人の認知や行動は、証拠(データ、前提)が仮説(理論、結論)の信頼度に影響しうる、という考えに大きく頼っている、と書く。そして続けて、豊富で正しい証拠があっても、誤った結論を引き出すことは、単なる可能性以上のものだ、と書いていた。
同じ SEP の “Underdetermination of Scientific Theory”(Kyle Stanford)、“Theory and Observation in Science”(Nora Mills Boyd ほか)、“Abduction”(Igor Douven)を読んだ。訳語の確認には、日本科学哲学会の学会誌『科学哲学』の論文二本を使った。今回も、専門家として解説するのではなく、読んで理解できた範囲を記録する。名前の出てくる Hume、Duhem、Mill、Bogen と Woodward、Carnap、Salmon、van Fraassen の原典は、どれも読んでいない。それぞれ SEP の項目に引用・紹介されている範囲で書く。
記録と、記録が示しているもの
最初に役に立ったのは、「データ」と「現象」を分ける考え方だった。SEP の “Theory and Observation in Science” によれば、Bogen と Woodward は1988年の論文で、研究者は理論をデータと直接比べるのではなく、データを使って「現象」についての事実を推論する、と論じた。ここでいう現象とは、予測や説明の対象になるくらいに規則的な、出来事・規則性・過程のことだ。SEP の例では、鉛がおよそ327.5度で溶けるというのは現象で、一回一回の温度計の読みはデータである。
そしてデータから現象についての主張までには、しばしば “a long road”(長い道のり)がある、という。データには、測定器の癖や、その場かぎりのさまざまな要因が入り込む。研究者は、データのどの特徴が関心のある現象を示していて、どれを無視してよく、どれを補正しなければならないかを、見分けなければならない。
会議のスライドに当てはめると、「前年比4%増」はデータに近い。今年の売上記録と去年の売上記録を比べた結果である。一方、「回復した」は、事業そのものに起きていることについての主張で、現象の側に近い。両者のあいだには、去年と今年でたまたま違ったことを見分ける作業が挟まっているはずだ。
もちろん、売上の報告は科学の実験ではない。ただ、「記録」と「記録から言おうとしていること」のあいだに道のりがある、という見方は、会議資料にも持ち込めそうだ。
同じ記録に、いくつもの説明が合う
次に読んだのは、「過小決定」(underdetermination)という問題である。SEP の “Underdetermination” は、その核心を、ある時点で手に入る証拠だけでは、それに応じてどんな信念を持つべきかを決めるのに足りないことがある、という単純な考えだと説明する。身近な例として、相関は因果を意味しない、という格言が挙げられていた。暴力的なゲームで遊ぶ時間と、子どもの攻撃的な行動に相関があったとしても、ゲームが攻撃性を生むのか、攻撃的な子がゲームを好むのか、第三の要因が両方を生んでいるのか、相関だけでは決まらない。
この項目は、過小決定をいくつかに分けている。そのうちの一つは、ある理論を確証している証拠の集まりがあっても、その同じ証拠によってやはりよく確証される別の理論がありうる、という形のものだ。ここで SEP は、19世紀の Mill の言葉を引いている。ある仮説が既知の現象をすべて説明するからといって、それを「おそらく正しい」と受け入れてはならない。その条件は、対立する二つの仮説がそれなりに満たしてしまうことがあり、しかも、私たちの心には思いつけない同じくらい可能な仮説が、おそらく千もある、と。
4%増という記録は、「回復した」とも、「去年がたまたま悪かった」とも、「値上げ」とも、「大口顧客一社」とも合う。どれを選んでも、記録とは矛盾しない。過小決定は、もともと科学の理論選択をめぐって論じられてきた問題だが、この状況はそれによく似て見えた。

では、候補の中から、記録をいちばんよく説明するものを選べばよいのではないか。SEP の “Abduction” によれば、証拠をもっともよく説明する仮説を選ぶ推論は、現代の文献では「最良の説明への推論」とも呼ばれる。ただし、この項目は一つの問題も紹介していた。最良の説明とは、私たちが思いついた候補の中で最良のものにすぎない。本当にいちばん良い説明が候補の中に入っていなければ、“the best of a bad lot”(出来の悪い候補の中の最良)を信じてしまうかもしれない、という van Fraassen の指摘である(SEP は、この指摘がとくに当てはまるのは、候補の中で最良だということから、それが真だと結論する形の推論だ、とも説明している)。
会議で「回復した」と書いた人は、ほかの説明を比べたうえで、それを選んだのかもしれない。けれども、スライドからは、どの候補を比べたのかが見えない。
一つの仮説だけを試すことはできない
同じ “Underdetermination” の項目で紹介されていた Duhem の議論も、気になった。SEP によれば、Duhem は、科学の仮説は単独では観察についての予測を生まない、と論じた。予測が出てくるのは、その仮説が、世界についての背景の前提や、測定器がどう働くかについての考えなど、ほかの多くの前提と組み合わさったときだけだ。だから予測が外れても、実験が教えてくれるのは、使った前提のどこかに少なくとも一つ誤りがある、ということだけで、それがどこなのかは教えてくれない。
「4%増だから回復した」という読みにも、口に出されていない前提がいくつも入っていそうだ。売上の計上方法が去年と同じであること。返品や値引きの扱いが変わっていないこと。比べている期間がそろっていること。これらのどれかが変わっていれば、同じ4%増でも意味が変わる。
Duhem の議論は、予測が外れたときの話として紹介されている。会議の例は、予測が外れた話ではない。ただ、証拠と結論のあいだには、一つの理由ではなく、いくつもの前提が束になって入っている、という見方は借りられそうだった。
「支える」には二つの意味がある
今回いちばん役に立ったのは、SEP の “Confirmation” にあった区別である。
ふだん私たちは、「このデータは結論を支えている」と気軽に言う。この「支える」には、少なくとも二つの意味がある。一つは、証拠によって、その仮説の信頼度が上がる、という意味。もう一つは、証拠を得たあとで、その仮説がどれくらい信頼できるか、という意味である。SEP では、前者は relevance(関連性)としての確証、後者は firmness(堅さ)としての確証と呼ばれていた。firmness は Carnap の用語だという。
二つは同じではない。SEP が挙げている例では、とてもまれな病気について、検査で陽性が出たとする。陽性の結果によって、その病気である確率は上がる。その意味で、検査結果はその病気だという仮説を確証している。けれども、もともとまれな病気なら、確率が上がったあとでも、なお低いままでありうる。

SEP は、Salmon がこの区別を「きわめて根本的」なのに「ときに見落とされる」と述べたことを引いたうえで、この区別は、哲学でも、人工知能や推論の心理学などの分野でも、繰り返し強調する必要があった、と書いている。
なお、SEP の説明では、確証は背景の知識に相対的なものとして定義されている。何を前提に置くかで、同じ証拠が仮説をどれだけ支えるかも変わりうる。
もう一度、会議のスライドを見る
ここで、翌月の会議のスライドを、今回借りた見方で見直してみる(以下は、科学哲学そのものではなく、そこから借りた視点で私が整理したものである)。
まず、「前年比4%増」はデータで、「回復した」は現象についての主張に近い。そのあいだの道のりは、スライドには書かれていない。
次に、4%増に合う説明は、「回復した」以外にもいくつか考えられる。スライドは、そのうちの一つだけをタイトルにしている。ほかの候補を比べたのかどうかは、スライドからは分からない。
さらに、「回復した」と読むためには、計上方法が同じ、期間がそろっている、といった前提が要る。それらも、スライドには書かれていない。

そして、「支える」の二つの意味から見ると、4%増という記録は、「回復した」という仮説の信頼度を、いくらか上げるのかもしれない。けれども、それで「回復した」と言い切れるほどに信頼できるかどうかは、別の問いである。「回復の兆しがある」と「回復した」は、データが同じでも、求めている支えの強さが違う。
こうして分けてみると、前回の「グラフが本文以上のことを言っていないか」とは別の場所に問いがあった。図ではなく言葉が、データ以上のことを言っていないか、である。
意味の監査との接続
ここからは、私の側の考察として書く。
意味の監査は、根拠から、成果物が示す意味までのあいだで、意味がどこで足され、変わり、引き受けられたかを追う方法である。科学哲学を訪ねて、その「あいだ」について持ち帰りたい問いが、四つ見つかった。
一つ目は、データから現象への道のり。根拠から結論へ進む前に、「記録から、記録が示していることへ」という一歩がある。「前年比4%増」と「回復した」のあいだには、去年と今年でたまたま違ったことを見分ける作業が挟まっているはずだ。その一歩が成果物の中に書かれているかどうかを、問うことができる。
二つ目は、同じ根拠に合う別の説明。一つの結論だけを見るのではなく、同じ根拠に合う別の説明はないか、と問うこと。比べた候補があるなら、それはどれだったのか。
三つ目は、前提の束。根拠と結論をつなぐ理由(Warrant)は、一つの文ではなく、いくつもの前提の束になっていることがある。会議の例なら、計上方法、比べている期間、返品や値引きの扱い。監査する人が理由を補うときも、一つ補えば済むとは限らないのかもしれない。
四つ目は、「支える」の強さ。根拠が仮説の信頼度を上げることと、その仮説を言い切れるほど支えることは別である。成果物が何をどの強さで引き受けているか(Commitment)を考えるとき、「データは回復を裏付けている」という一文が、どちらの意味で「支える」と言っているのかを分けて読む必要がありそうだ。
今回見つかった問いの一部は、すでに意味の監査にも入っている。ただ、まだ十分に反映できていないものもある。そこは今後、意味の監査を育てる中で考えていきたい。
ただし、科学哲学と意味の監査は、同じことをしているわけではない。確証の理論は、証拠が仮説をどれだけ支持するかを、しばしば確率を使って分析する理論である。意味の監査は、成果物の中で意味がどこで動いたかを追う方法で、仮説の確率を計算するものではない。SEP の “Confirmation” には確証の度合いを測る尺度が複数並んでいて、どれが正しいかに合意があるようには読めなかった。最良の説明への推論が合理的かどうかも、SEP の “Abduction” では、まだ開かれた問いとして扱われていた。科学哲学を根拠に、意味の監査の正しさを主張することはできないし、そのつもりもない。
第1回の「15%」は、どうなったのか
第1回では、AI が「彼女が彼のことを好きである確率は15%です」と答えた場面から、確率として出力された値を「知っている」と言える条件は何か、という問いを残した。
確証の理論では、証拠を得たあとの仮説の確率が、中心的な道具として使われている。言葉だけ見ると、AI の「15%」と近そうに見える。けれども、AI が出力する15%が、どんな証拠と背景の前提にもとづく、どの仮説の確率なのかは、出力からは分からない。確証の理論で使われる確率と同じものだと言ってよいのかも、今回読んだ資料からは判断できなかった。
今回読んだ SEP の項目には、AI が出力する確率についての議論は見つからなかった。ここは、分からないこととして残しておく。
意味の監査から見た地図(第8回)
これまでと同じく、左に意味の監査の段、右に今回の学問から投げかけられる問いを置く。科学哲学の考え方を、意味の監査の段に挿入したのではない。今回は、問いが Inference / Warrant と Commitment に集まり、Evidence / Source と Interpretation のあいだにも問いが加わった。

注記: 右の問いは、科学哲学の正式なモデルではなく、今回読んだ範囲から私が拾った問いである。
今回分かったこと
- 科学哲学から借りた見方で分けると、「根拠から結論へ」のあいだには、少なくとも、記録から記録が示していることへ進む一歩、同じ記録に合う別の説明を比べる一歩、口に出されていない前提、という三つの場所がある。
- 記録が正しくても、その記録から結論を言えるとは限らない。同じ記録に、いくつもの説明が合いうる。
- 最良の説明を選んでも、それは思いついた候補の中での最良にすぎない、という指摘がある。比べた候補が見えなければ、その結論がどれくらい選ばれたものなのかも見えない。
- 「支える」には、信頼度を上げるという意味と、証拠を得たあとでどれくらい信頼できるかという意味がある。同じデータでも、どちらの意味で支えているかによって、言ってよい強さも変わりそうだ。
- 今回の問いは、第7回の「図が本文以上のことを言っていないか」とは別の場所にあった。言葉もまた、データ以上のことを言いうる。
まだ分からないこと
- 科学で発達した確証や過小決定の考え方を、会議資料や報告書の一文にどこまで当てはめてよいのか。扱う対象の大きさも、目的も違う。
- 監査で、別の説明をどこまで挙げれば十分なのか。思いつかなかった候補は、監査する側にも思いつけない。「出来の悪い候補の中の最良」の問題は、監査者自身にも当てはまるのかもしれない。
- 「支える」の強さを、数値を使わずに記録できるのか。
- AI が出力する確率は、確証の理論でいう「証拠を得たあとの仮説の確率」と同じものなのか。今回の資料には、AI が出力する確率についての議論はなかった。
- 根拠と結論をつなぐ理由は、成果物にどこまで書かれるべきなのか。今回は、それが一つではなく束でありうることまでしか分からなかった。
第1期を終えて
第0回で、第1期として八つの学問を順に訪ねる、と書いた。今回の科学哲学で、その八つを訪ね終えた。
第0回には、こうも書いていた。意味の監査は、これらの学問を学んでから作ったのではなく、実務の違和感から作り、あとから周りを見渡したら、そこに学問があった。そして、これらの学問が意味の監査の材料になっているわけではない、と。
八つを訪ねたあとも、その順番は変わっていない。八つの学問は、意味の監査の部品になったわけではない。それぞれに問いを持って出かけ、自分たちの問いを細かくする見方を借りてきた。借りられなかったところや、意味の監査とは違うところも、毎回そのまま書いてきた。
訪ねたことで、意味の監査が完成したわけでもない。むしろ、問いは増えた。もともと考えていた問いのいくつかは、細かく分けて考えられるようになった。読む人自身の先入見、図が意味する三つの仕方、「支える」の二つの意味のように、訪ねる前には考えていなかった問いも見つかった。そして、どの回にも「まだ分からないこと」が残った。
毎回の終わりに置いてきた「意味の監査から見た地図」も、八枚になった。完成した理論の地図ではない。ただ、どの段に問いが集まり、どこにまだ空白があるのかは、第0回のころより少し見えるようになった。
第0回では、八回終わったとき一枚の地図になっていればよい、とも書いた。八枚を一枚に重ねる作業や、第0回で第2期の候補に挙げた論証論には、いずれ進むかもしれない。ただ、まだ決めていない。今回の最後に残った、根拠と結論をつなぐ理由はどこまで書かれるべきなのか、という問いも、意味の監査の Warrant という言葉が論証論の用語と同じ概念なのかどうかも、分からないまま置いておく。
第1期は、ここでいったん閉じる。
出典
- Crupi, V., “Confirmation”, Stanford Encyclopedia of Philosophy(初出 2013-05-30、最終改訂 2025-08-04)https://plato.stanford.edu/entries/confirmation/
- Stanford, K., “Underdetermination of Scientific Theory”, Stanford Encyclopedia of Philosophy(初出 2009-08-12、最終改訂 2023-04-04)https://plato.stanford.edu/entries/scientific-underdetermination/
- Boyd, N. M. & Bogen, J., “Theory and Observation in Science”, Stanford Encyclopedia of Philosophy(初出 2009-01-06、最終改訂 2026-01-12)https://plato.stanford.edu/entries/science-theory-observation/ (§2.3 “Data and phenomena” を参照)
- Douven, I., “Abduction”, Stanford Encyclopedia of Philosophy(初出 2011-03-09、最終改訂 2025-06-18)https://plato.stanford.edu/entries/abduction/
- 伊勢田哲治「応用科学哲学の問題としてのリスク」『科学哲学』第38巻第2号、2005年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj1968/38/2/38_2_77/_article/-char/ja
- 小川亮「哲学の一般的方法としての『最良の説明への推論』」『科学哲学』第55巻第1号、2022年 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/55/1/55_1-1/_article/-char/ja
引用した英文の日本語訳は筆者による。Hume、Duhem『物理理論の目的と構造』、Mill『論理学体系』、Bogen & Woodward の論文(1988)、Carnap、Salmon(1969)、van Fraassen(1989)の原典は、今回は読んでいない。これらの人物の議論と言葉は、SEP の項目に引用・紹介されているものによる。





